『マンボウの卵』


一度の性交で射精される精子の数と、マンボウが一度に産卵する卵の数は同じ三億個である。

 そんな実生活で使うことのない知識を得たのは一年ほど前だった。

 二人で行った水族館で教えられたそれを、彼との情事のたびに思い出す。
 私が欲情と快感の湖に身体を沈めると水面下からゆらゆらと浮かび上がる気泡のように意識下から思い出されるそれは、ふわふわと柔かなガーゼのような優しさで私の感情を鎮め、理性を呼び覚ます。

 豆知識をのたまった当の本人から与えられる熱を持った快感に身体で応じながらも気持ちは波紋ひとつ立たない湖のように冷ややかに静まり返っていた。
 大柄な彼の身体にしがみつきながらも冷めた部分ではのろのろとマンボウの産卵を思い、彼の精子を意識する。
 私の中にあるそれに内包されているあらゆる可能性を秘めた三億もの遺伝子は自分を残す為に放たれるのを待ってる。その先に道はないのに。


 射精のあと何の役にも立たずゴミ箱に捨てられる三億の精子と卵のまま捕食される三億のマンボウの卵。どっちが幸せなんだろう。彼の口づけを首筋に受けながらぼんやりとそんなことを考えていた。