時は過ぎ、元治元(1864)年――。 新崎和早は未だ新選組隊士として屯所に残っていた。 「(ま、思わぬ落とし穴だったってところか…)」 元々容保に頼まれたのは“新選組を名乗るに相応しいかを見極める”ことであり、もうこれといった用はなかったのだが… 一度入隊した者は二度と抜け出せない、という仕組みができていたらしく、離れるに離れられなくなったのだ。 容保は容保で落ち込み具合が激しく、顔に暗い斜線がかいま見えるほど。 とりあえず、今後も彼らの様子を報告するということで落ち着いた。