慶応元年(1965)三月 隊士が増加し、前川邸が手狭になった新選組は西本願寺境内にある北集会所などを借りて屯所とした。 しかしその移転の裏には、哀しい出来事もあった。 長年、近藤らと共に歩んできた仲間、山南敬助の死―― “新選組は長州藩を年頭に置いて動いている 尊王攘夷を志向する集団が寺院の動向を探るのは見苦しい” 実は、西本願寺は長州贔屓であった為その監視も兼ねて移転したのだ。 山南は近藤に訴えたが、聞き入れられることはなかった。