亡國の孤城Ⅲ ~バリアン・紲の戦~



「……ライ君…」

「……ユアン、先生…?」

眉をひそめた何とも言えない表情のユアンをぼんやりと見上げ、ライは半ば茫然自失で彼の名を不思議そうに呼んだ。
取り上げられたダガーを目で追い、その刃が、柄の先までもが赤い鮮血で染まりきっていることにライは気付いた。同時に、小刻みに震える両の手が生ぬるく湿っている。何故か肩で息をするほどに呼吸は乱れており、鼓動は激しい。眼球は乾いている事に気付いているのかいないのか、その双眸は瞬きもせずに開ききったままだ。
その目が不意に、目下で呻く人影を捉える。

映ったのは、大柄な男の、バリアン兵士の、穴だらけの胸で…ライの身体に、寒気が走った。


「……あ…。…う、あっ…」

意識や感情諸共が一気に現実に引き戻されたと同時に、ライは思わず馬乗りになっていた男から仰け反っていた。
血を見るのには慣れている。死体など見飽きている。もっと酷い腐乱死体も過去に何度も見てきた。今更傷の一つや血の海で動揺する心など持ち合わせていないと思っていたのに…何故だろう。

(…うっ…)

腹の底から何かがせり上がってくる、あの気持ちの悪い感覚。咄嗟に手で口を覆い、嘔吐しそうになるのを堪えた。その際、顔にこびり付いた返り血の生臭さにも身の毛がよだつ。


「…ライ君、大丈夫ですか?…下がっていなさい。……この男も、もう虫の息の様ですね」

目をかっぴらいたままビクビクと痙攣する兵士を見下ろし、ユアンは深く息を吐いた。

横たわる男の後頭部には、砂に隠れた岩が覗いていた。恐らく、ライの必死の体当たりで転倒した際に運悪くこの岩に頭を強打してしまったのだろう。でなければ、兵士ともあろうものが子供一人に馬乗りで滅多刺しにされることなど有り得ないのだから。

数十の刺し傷からは止めどなく血が噴出していた。瞳孔も開きかかっている。失血死するのも時間の問題だろう。
兵士の血が砂漠に染み込んでいくのを傍目に、ユアンは座り込んでしまっているライの横を通り抜け、傍に横たわっていたフォトへと駆け寄っていった。
ユアンがフォトに応急処置を施そうと荷を解き始める微かな音を耳にしながら……ライは、血だらけの利き腕を震える眼でじっと見下ろしていた。