亡國の孤城Ⅲ ~バリアン・紲の戦~

耳が馬鹿になったのかと振り返った店主の目には、鼻息荒い仲間を後ろから押さえつけるバリアン兵士と、ニコニコと笑みを絶やさない放浪医者の姿。
怒り心頭の兵士は仲間の制止にもがきながら短剣を振り回すが、残念ながら研がれた刃先は獲物に掠りもしない。

空を切る刃の音は常ならば恐怖を覚えさせるのだが、何故だろう……店内で連続するそれは、妙に虚しく、そして滑稽だ。


「…お前ら離せ!こいつの女々しい腑抜け顔を切り刻まねぇと…気が済まねぇ…!」

「馬鹿言うな。…ほら、見回りはここだけじゃねぇんだ………金医者も道を譲ってやるからとっとと失せろ、気が変わらねぇ内に」

仲間を止めてはいるものの剥き出しの敵意はそのままに、兵士は「出て行け」と睨んできた。一歩後ろに下がり、出入り口に通じる道をユアンに譲る。

「慈悲深い方々で僕は嬉しいですねー。優しさを見せるまでの焦らしは照れ隠しですか?要りませんよそんなの。………それでは、御言葉に甘えさせて頂きましょうかねー。ああ、次いでと言ってはなんですが、これは飯代です。迷惑を掛けた貴方方が代わりに払っておいて下さい」


殺気を放つ兵士達の前を通り過ぎる間際に、ユアンはそう言って懐紙に包んだ硬貨を投げてよこした。
弧を描いて飛来するそれを兵士が無言で掴み取るのを見ると、ユアンはいつもの大荷物を抱えて店を後にした。





外は夜一色へと染まるカウントダウンを刻んでおり、街壁の奥に見える夕日の茜色は姿を眩まそうとしていた。
いつの間にかランプや松明の明かりが視界のあちこちに点在しており、一見頼りなさげなそれも闇の中では夜に食われない唯一の救いだ。

足元は疎か、自分の手や睫毛に引っ掛かる鬱陶しい前髪のシルエットさえも見えにくくなっていく中、ユアンは街の外で待っているであろうライの元へと向かうべく歩を進めた。
昼間と比べてすっかり人気の無くなった街路には、女子供の代わりに男達の姿が見受けられた。
この時間帯に子供や婦女子はそうそう出歩かない。逆に、この時間帯だからこそ行動を許される婦女子もいる。
彼女達は道を通る男達に声を掛けるのが仕事であり、女顔の優男であるユアンも当然の如くお声が掛かった。