亡國の孤城Ⅲ ~バリアン・紲の戦~

サナは、サナ自身の事をどう思っているのだろうか。
一切の記憶が無い赤子の様な彼女には、世界はどう映り、どんな感覚を覚えるのだろうか。


……僕等の存在を、どう思っているのだろう。




「…結局、治療法は無いのか?」

独りランプの明かりの届かない暗がりで腰を下ろしていたレヴィが、その低い声音でぼそりと呟いた。

「現段階では…ありませんね、確実な方法は。…魔術云々はさておき、精神的なものが原因なのだとすれば………何かのきっかけで急に思い出した、なんて事例も過去にあります。………人それぞれですが」

「まぁつまり結局のところ………様子見しかない…って話か。………先生、血。血出てる。先生、指、血」


何故か継続していた子猫の宙ぶらりん状態に、ロキは見かねて揺れる赤い猫を引き離した。
解放されたユアンの人差し指からはボタボタと鮮血が滴り落ちる。地味に出血多量だ。

指先の浅い噛み痕の血を軽く拭い、ユアンは懐から懐中時計を引っ張り出した。
装飾も施されていない質素な時計だが、丈夫な面だけは一級品だ。ぎこちなく回り続ける針の位置を確認すると、ユアンはいそいそとマントを羽織始めた。


「…さぁて、夜が明ける前に砂漠を越えたいので、ここらで僕は帰らせて頂きます」

そう言ってゆっくりと立ち上がるユアンに、ライは口を開いた。

「あれ………もうお帰りになるんですか、先生…」

毎回オルディオの診察に来てくれる日は、大体そのままこの隠れ家で一夜を明かす事が多いのだが…今日は珍しく早めの帰宅らしい。

どうしたのだろう…と口には出さぬまま首を傾げるライだったが、気持ちを察したらしいユアンはさらりと青年の疑問に答えた。


「放浪の身といえども一応医者ですから。いつもいつも暇という訳では無いんです………とまぁ、用事の事もありますが……実のところ、近頃…砂漠の様子がおかしいって話を耳にしていましてね…」

「………砂漠がおかしい?」