そもそも、小学生の頃の私は道徳の授業が苦手でした。

嫌いではないけれど、苦手でした。(通知表は“たいへんよくできました”だったけど)


道徳の教科書を読んで善悪を学び、みんなで討論するのが道徳の授業。


なぜか分かりませんが、自分で発表しながらも、

あえて“いい子チャン発言”をしている自分に、違和感がありました。


想定の話でクラスメートとあれこれ語り、人として学ぶべきことは分かっていたのですが、

あくまでお話の中のことで、“もし私が○○ならー…”と発表する自分は、

多数決の方に合わせた発言をしていました。


それに気が付いてから、自分は嘘つきみたいだなと思うようになっていました。

(…というか偽善者そのものです、私の原形です)


もちろん、道徳の授業がなければ善悪や真心や、そういうメンタル的な成長は出来ないから、

大切な授業で欠かせないのは分かります。


ただ、“所詮人ごと”だからなんとでも言える訳で。

実際に自分がどういった行動をとるのかは、口先だけの発表とは違う気がして―――