牧場に戻り馬や羊の世話を終えて、早速旗づくりにとりかかった。しかし僕は裁縫だけは昔から大の苦手で、指に針を刺した事は一度や二度ではない。ところが主の娘の優子さんは料理や洗濯、掃除は一切ダメなのに裁縫だけは裁縫教室の先生顔負けの腕前なのだ。夕飯を作り風呂から上がった主の陽一との晩酌に付き合った。『そういえば今日は先輩とデートだとか言って砂塵をまきちらす勢いで出かけていきましたよ』と、笑いながら空になりかけた陽一のグラスにビールをお酌しながら話しかけた。普段は娘に対して全く無関心に見える陽一が『あいつはな、母親が離婚して家を出ていく時も涙一つ見せなかったくらい気丈な娘なんだ。ただな、一度だけ俺の前で泣いた事がある。うちで飼っている馬が子供を生んだのに一切関知しないで子育てを放棄しちまいやがった事があってな。あいつは子供用の厩舎に泊まりこんで面倒をみていたんだが、生後3ヶ月でその子馬が死んじまったんだ。その夜に《どうして親のくせに自分の子供を面倒みないんだ。あんなに可愛いのに…。ふざけんじゃねぇ!》ってな感じでわんわん泣いてな…』陽一はグラスに残ったビールを一息で空にして『ずさんに見えるが、いつも人の事を気にしながら生きているんだ。自分の事より他人が悲しい顔をしているのが何より嫌な性分なんだな。少なくとも優子っていう名前の通りは育ってくれたと思うよ』と席を立ち、じゃあなと言って居間から出て自室に入った。僕は優子さんをずさんで女らしくなく恥じらいも感じない男っぽい人だと思っていたが、人間味のある話を聞いて胸が熱くなった。これからは違う目で見れそうだと思うと、少しだけ優子さんの帰りが待ちどおしくなった。しかし深夜12時を過ぎても一向に帰ってこない。さすがに心配になり車を出して山をくだった。麓の近くまでおりた辺りに高さ4mくらいの大きな岩がある。あろう事か、優子さんはその上に大の字になって寝ていた。僕は慌てて車をとめ、ドアを開けて『優子さん!そんな所で何やってるんですか!危ないですよ』と声をかけると、優子さんは頭だけもたげてこちらを見て『おぉ…。童貞君か。月がキレイだったからよ~。気持ちいいぞ~、ヒック』と、かなり酔っ払っているらしい。『今、迎えに行きますからジッとしていて下さいね』と言って岩肌に手をかけて登り始めた。