彫り師の姿を見たとたん、反射的に回れ右をして逃げ出そうとした僕を渉兄さんが手で制止しながら『大丈夫だ。最近はプリントでなくても1ヶ月で消える染料があるから。お前がバラ色の人生の入口に立っている頃には消えてるさ』『でも痛いんでしょ?』と、下からななめ45°に見上げる僕の首に腕をまわし店の隅に連れて行きながら『お前な、俺の顔に泥を塗る気か?今さら痛いからやめます…なんて言える訳ないだろ、ばか!』と可愛い弟よりも面子を大事にするのかと考えていると『さっきまでの意気込みはどうした?マリア様が路頭に迷ってもいいのか?』と、痛い所を突いてくる。確かに身体の痛みより心の痛みの方が辛い。『わかったよ。でもマリアじゃなくて天使様だからね。間違えないで』と兄さんの顔を指をさして訂正した。上半身を脱いで畳の上にうつ伏せになり覚悟を決めた。それでもやはり痛いのには変わりなく、何度も涙を堪えては顔を隠した。どのくらい時間がたっただろうか。部屋の灯りで我にかえって横に目をやると渉兄さんがアグラをかいてタバコを吸っている。『終わったの?』と、我ながら情けない弱々しい声で訊くと『ああ。店で鏡を見てこい』と、僕の腕を掴んで立ち上がらせてくれた。鏡を見ると両肩から肘にかけて綺麗な刺青が彫られていた。まるで自分の身体ではない気がするが、間違いなく鬼塚強司がそこにいた。悲しい様な、親に悪い様な複雑な気持ちだ。そんな僕の表情見ていた兄さんが『強司、相手が相手だけにできる限りばれるリスクを減らしておきたい。だからここまでやるという事を理解してくれ。ヤクザの中にはお前みたいに気の弱い奴だって珍しくない。外見だけでもハクをつければそれなりに見えるものさ。それにな、今回の痛みや辛さは今後どこかで役に立つ時があるさ』と、励ましとも慰めともとれる言葉をかけてくれた。『この狭い街で作戦の前に目をつけられても困るからこれをつけな』と、床屋のオヤジさんがサングラスと帽子を渡してくれた。僕は礼を言って受け取り店を出た。『優子ちゃんが待ちくたびれてるだろう。車に戻ろうぜ』僕と兄さんは並んで夕方の通りを歩く。不思議な事に髪型を変え刺青を施しただけで渉兄さんに近づいた気がした。駐車場に戻ると優子さんはまだ戻っていない様だった。