Alice Doll

 じゃあ、奏さんは何て呼んでいるのだろう?


 思ったままを口にすると、奏は優雅に微笑んだ。

「チェシャ。私はチェシャと呼んでいるよ」

 形の良い唇がリズミカルに動き、奏自身が呼ぶ猫の名前を口ずさむ。

「チェシャ……?」

 どこかで聞いた名だと由衣は記憶を遡る。

 確か最近映画とかでもちらりと見たし、結構有名な文学のものだったはず。


「あ! 『不思議の国のアリス』だ」

「うん、そのお話に出てくるね」

 思わず口をついて出た言葉に、奏は自然と相槌を打った。

 『不思議の国のアリス』。世界的に著名なその作品の著者はルイス·キャロル。主人公アリスが不思議の国で様々な冒険をする。
 言葉遊びを多数使用し、トリップものとして1つのジャンルを作り上げたこの作品は、今でも世界中で多くの人間に親しまれている。


「不思議の国のアリスかぁ。あれ、実際に読もうとしたら、言葉遊びのレベル高すぎて、途中で挫折したんですよね……」

 由衣の独り言ともとれる吐露に、分かると賛同する声が1つ。
 奏、と言いたいところだが、彼はにこやかに微笑んでいるだけである。

「こっちに来たとき読んでみたけど、行きすぎて途中でワケが分からなくなった。確かに面白いとは感じたけど、最後までは読み切れなかったなぁ……」

 賛同した声の主は谷田部アランであった。


 あ、確かに私も最後まで読んだことないかも。由衣は谷田部アランの言葉を反芻して思う。


 翻訳者によって微妙に変わりはするだろうが、言葉遊び自体が難しく感じた。そもそも日本人である由衣はあまりマザーグースに親しみがなく、引用されている節すら分からなかったのだ。