桜の木の後ろには、栗色の髪をした男の子の後ろ姿が見えた。
声をかけようとする鈴夏。

「あ、あの・・・」

言いかけた途中で、涼しく、やわらかい風が桜の花びらを舞いあがらせた。
同時に、男の子もゆっくりと振り向く。
(ドキ、ドキ・・・)
鈴夏は、自分の心臓の音が聞こえてくるのを感じた。
目を瞑った。
ゆっくりと、目を開くと、その男の子は、きれいな目、サラサラで柔らかそうな髪、長い脚、やさしい口…
落書きのせいで、忘れかけていたあこがれの日向だった。
思わず顔が赤くなる。

「ねえ、あのらくがきって…君?」

美しい唇から出るやさしい声・・・それは、間違えなく日向。
鈴夏は、なぜか涙が出てきて、逃げ出した。
体が自然に動いた。

「待って・・・!」

日向がいった。そんな日向の声に立ち止まること無く、鈴夏は走り続けた。

「なんで逃げんの・・・」

日向は、困った顔をして照れくさそうに頭を掻いた。

 鈴夏を横切る風は、桜の花が混じっていて、桃色に見えた。
ふと足をとめた。
そこは、誰も知らないような静かな小川だった。
土手の下には、透き通った川と一本の大きな桜の木があった。
鈴夏は、桜の木の下に腰を下ろした。
太く高い桜の木は、確実に自分より年上だろう。
堂々と咲き誇っていた。

「はあ、はあ・・・。どうして、逃げちゃったんだろ。大好きな人だったのに・・・」

わからなかった。
なぜ逃げだしたのか、大好きな人に自分のことを知られるのが怖かったのか。
彼=日向の事実が信じられなくて・・・。自分が好きなのは、彼であって日向ではないような気がして。