そこにある腕時計。ガラス部分にヒビが入っていて、動いてはいるみたいだけど見えにくくなっている。


「この時計、私があげたやつ?」

「そう。前に、」


前に。で言葉が止まる。
それから、少し考えてからその続きを話し出す。


「前に、美和が“買いに行こう”って誘ってくれたんだけど、その時は用事があっていけなかったんだよ」

「あ…そっか」


私が覚えていない記憶を話す冬馬兄ちゃん。
事故に遭う少し前の私は、冬馬兄ちゃんと時計の話をしていたんだ…。


「ごめんね、何も覚えてなくて」

「いや…仕方ないよ」


仕方ない。そう笑ってくれるけど、少しだけ心が痛む。
何も思い出せない私を見る冬馬兄ちゃんは、時々凄く寂しそうな顔をする。

だけど私は、どう頑張っても思い出せない…。
その部分だけが真っ白になって、記憶は事故の後に飛ぶ。
その事故の後、冬馬兄ちゃんたちのことも忘れてしまっていたらしいんだけど…その記憶も無い。

なんだか変な気分。私が「私」じゃないかのような…だけど私は「私」として存在している…。

…やっぱり上手く言えない。
頭の中が、こんがらがってしまう。


「あまり考え込まないようにね。
俺は美和が隣に居てくれるだけでいいから」

「…ん。ありがとう」


冬馬兄ちゃんは私の心を読んだかのように言葉を放ち、頭を撫でてくれた。