‐パシャパシャ。
まだ太陽が全部姿を現さない早朝、滅多に使われていない古井戸で顔を洗う水音が響く。
学園の外れにある裏山の中腹地点。
元は休憩所でもあったであろう石造りの支柱と、誰かが置いた木製のベンチ。
水滴がまだ残る顔に、ポケットから取り出されたタオルが押し当てられる。

「……。」

初夏のせいか、一度タオルで拭ったくらいでは中々汗は引いてくれない。
…散策目的で始めたランニングはいつの間にか日課になっていた。
この世界に来て一月半、あの頃より少しだけ伸びた髪を後ろで括ると、いつものように古いベンチに腰を下ろして目を閉じる。


…チチチ。

朝独特の臭い、鳥の声、草が風で靡く音。
心を落ち着かせたものだけが聞き取れる自然のコーラスに耳を傾けながらも、男の顔は穏やかとは言えなかった。

「…ハァ。」

頭にタオルを被せたまま、小さくため息を溢す。
…なんでこんなことになったのだろう?
その思いが頭をぐるぐるとかき乱す。
…いつの間にかコーラスの音は止まっていた。
尤も、聞こえなくなったと言う方が正しいか。