ボーダー

カウンセリング後、戻っていいと言われた俺は部屋に戻った。
カウンセリング期間中は、空き部屋が割り当てられ、好きに使っていいのだ。

日本の学生寮みたいな感じで、部屋には最低限のものしかない。
簡単な調理ができるように、給湯室にIHコンロや、鍋やフライパン、ポットに電子レンジはある。

明日にはどのみちアメリカから日本に戻らねばならないのだ。
1日、この部屋にいてもいいのだが、ふと珠美が気になった。
……熱は上がっていないだろうか。
……少し回復したからといって、また母親の仕事を手伝ってはいないだろうか。

……心配だ。

って、なんで俺は珠美のことを心配しているんだ?

カウンセリング前に、珠美が俺の部屋に入ってきて、何やら話しかけてくれるのが心地よかった。

浅川くん、と呼びかけてから、いつも珠美の方から話題を振ってくれる。
話している最中の表情が喜怒哀楽をしっかり表しているので、見ていて飽きないのだ。

その割に、抱き上げた身体は、男の俺とは違って柔らかくて、腰のラインと大きさのある胸、髪から漂う優しい香り。
ヘアミストとかいうやつだろうか。

同年代の女の色気を感じさせられて、意識しない男はいないだろう。

……恋愛感情なんてものが、どんなものかは分からない。
しかし、今のデーティングの相手である冥という強情な女よりは、珠美の方を気にかけてやりたいし、守ってやりたいと思う。
何より、俺自身が珠美の側にいたいのだ。

一度部屋に戻って、カバンを掴むと、エレベーターに乗り込んだ。
給湯室がある2階のボタンを押して、降りる。

掴んだカバンには、アメリカでの食事に飽きたときに食べると良いと言って、日本の養護施設のスタッフが持たせてくれたパックご飯が入っているのだ。

給湯室の適当な耐熱容器にパックご飯を放り込み、ご飯が浸るくらいの水を入れる。
そして、電子レンジにかける。

具も彩りもないお粥になってしまったが、材料がないので致し方ない。

それを、トレーに乗せると、エレベーターで何とか7階まで持って行く。
ノックをしたくても手が塞がっているのでそれをせずに珠美の部屋に入る。

歳相応の高校生らしい、少しあどけない寝顔をしていて、素直に可愛いと思ってしまう。

珠美の可愛い寝顔を、ベッド脇の椅子に座って見ていたのは覚えている。

それから、少し眠ってしまったらしく、そこからの記憶は曖昧だ。

気がつけば、俺は本来の自分の部屋のベッドで眠っていた。
もう陽は高かった。
朝、だったのか。

コンコン、と丁寧なノックの音がして、扉が開くと珠美の母親がいたのだった。

「浅川くん?
由紀を看病してくれててありがとう。
あんなところで寝ていられると、何か起きそうだったし、何より貴方の方も体調を崩しかねなかったから、遠藤さんに頼んで部屋に運んでもらったわ。

まぁ、私としては、貴方がちゃんと更正したら私の娘と、というのもやぶさかじゃないのだけれど。」

なにか起きそう、というのは、男女のアレコレのことだろうか。

それにしても、珠美の母親は一体何を言っているのだ。
やぶさかじゃない、ということは。

いつかは俺と珠美が、日本で言うなら男女としての付き合いをするのを想定して、言っているのだろうか。

「でも、いいんですか?俺で。
こっちの大学へ進むことを考えているくらい、優秀な娘さんだったら、俺より相応しい人なんて、星の数ほどいるはずですのに。」

俺がそう言うと、珠美の母親は、カウンセリング時よりにっこりと微笑んで、こう告げる。
あまりにもその顔が娘と酷似しているものだから、心臓が跳ねた。

「ふふ。そう思う?
母親ですもの、分かるのよ。
試験が立て込んで、私のアメリカ行きについていけないとき、不満そうだもの。

『浅川くんの様子、私にも話してね!
約束だからね?』
なんて私に言うのよ、あの子ったら。
違うクラスの同級生に恋する女の子、って感じなものだから、微笑ましくて。」

そこで、珠美の母親は言葉を一度切って、軽く咳払いをした。

「浅川くん、自信なさげね。
自分が私の娘には相応しくない、みたいなことも言っていたけれど。

本当にそうかしら?

私の娘に惹かれるようになってから、貴方の心の奥底に隠れていた本当の優しい一面が、徐々に出て来ているように感じるのよ。

さっき、遠藤さんに、ベッドの場所も聞いたり給湯室を使っていいかの許可も得たみたいじゃない。
彼もビックリしてらしたわ。
それと同時に、カウンセリングはもう、最終段階でいいかもしれない、って話も挙がったわ。

娘と関わることがカウンセリングか更正の一環になるならこんなに嬉しいことはないわ。

娘をよろしくね?」

珠美の母親が部屋から出て行くと、俺はアメリカから発つ準備を始めた。