揺らぐ幻影


切なさに握りしめたウサギは息が苦しそう。

白い兎のように可愛らしい市井は、辛そうな顔をしたことがあるのだろうか。


ホワイトデー、休日、呼び出し。

こんな時にでも、なぜか関係ないことばかりが頭を支配するので、

やっぱり自分は賢くないと思う結衣は、益々今の状況とは違う方向へと考え事をしてしまう。


ああ、現実逃避は構ってちゃんだ。


淋しくて死んじゃわないように、ちゃんと解放してあげなくては。

約一ヶ月前にレンタルされた恋心を返却してもらわなくては。


「ありがと分かった。満足、……バイバイ」

悲しみに押し潰される胸、声にするのがやっとで、

結衣はぎこちなく微笑むと、もう一度ばいばいと言い右足を後ろに引いた。

あとは左足を右斜め前に出し、方向転換して去ればいい。

右足左足を交互に動かし、彼から自分の姿が見えなくなったら走ればいい。


そして泣きながら愛美と里緒菜に電話をすればいい、すぐ駆け付けてくれる。


さあ、今から失恋の明日に向かって左足を前へ――



「え、これ、え? ま、っ、――シュマ……ロ」

避けようとした瞳の端に映るのは、義理を握りしめた近藤の手で、

ウサギを握る結衣の手とそっくりで、第六感に導かれた彼女は立ち止まり、左に顔を傾けた。


聞いて、と口が開いて八重歯が覗く。

喋らなければ見えない尖った先は、少女を冷静にさせるには十分で、

軽く頷き、きちんと少年の顔を見た。


メイクをしていないのに くっきりとした丸い目、多分結衣は近藤の薄い涙袋が好き。

振られたらこんなに至近距離で拝めるのは最後になる。


宝くじ売り場の広告の角がめくれ、何かにぶつかったのか消火器がカンと音を鳴らす。

職員室のようにたくさん掲示されたチラシだらけの壁。


高速・市内バスを利用する大勢の通行人の中に、立ち止まったままの二人。

ラストくらいは、ここに二人だけしかいないようだと錯覚しよう。

痛いロマンチストになれたら優秀じゃないか。


「聞いて、うん。田上さんのこと知らない俺なんも。他人てよりは知らない……まあ、冬休み明けて?」

かさついた音がしたのは、恐らく近藤がマシュマロを握った手に力を込めたせいだ。