「おはよ、田上さん」
お花畑の国に召喚した覚えはないが、不本意ながらに現れた王子様は気さくな笑顔を向けてくれる。
心に望んだ人を呼び出せるなら、ここに立つのは小さく結んだネクタイが調和する人のはずだったのに。
「あの。えっと、これ。あげる」
挨拶もなしに、結衣は両手にしていた荷物を勢いよく差し出した。
手の平サイズのマフィンは、アルバイト先の女子大生に教わったレシピで昨夜作ったものだ。
重くならないようにと、義理臭たっぷりになるようにと、ラップで巻いただけのものだ。
意外だとばかりに丸い目を更に広げ、「くれるの?」と市井が言う。
「うん。」
簡単に返事をし、気まずさを紛らわせたくて結衣はウサギのお財布を握っていた。
「……ぽこりん、じゃないんだ?」
トリュフみたいに甘さを秘めた瞳の含みに気が付けるくらい冷静だったから、
「よーぺー」という静香のじゃれた声をはっきりと聞き取れてしまっていた。
今、結衣は好きな人を指すあだ名がバレていたことにハッとして、顔を赤くするべきなのに、
ちっとも動揺を示さず、「……うん」と吐き捨てるように口にした。
プレゼントする相手が違うと、贈り物は輝きをなくすらしい。
すっごくすっごく不味そう、可哀相なくらい不味そうなマフィンだ。
「ふうん? 甘いの。嫌い、なんだよね?」
勿体振った口調に恋心が痛んだ、苦しくて泣きたくなる。
笑える自信がなかったけれど、意識して口角を上げ勤務中の営業スマイルを心がけると、
ひょっとするととびきり愛らしい笑顔を作れていたかもしれない。
「甘くない、甘く……してない。まずかったら、捨てれば。知らない」
そのお菓子は甘さ控えめが好きな近藤に渡したくて、近藤に食べてほしくて、
頑張りが不足しているから市井の手にある。
王子様を好きになれば良かった。
そうしたら、こんな気持ちにならなかった。
大塚と付き合えば良かった。
そうしたら、こんな気持ちを知らなかった。
「すき」と、一言。
無意識に奏でていた。
ほんの一瞬、近藤の視線を感じた気がしたけれど、ナルシストの錯覚だから彼はこちらを見ていやしない。



