揺らぐ幻影


さて、友人の片思いを潰していた結衣は、世間で見ると嫌な女なのだろうか。

ここは、客観的に孫を想うご老人に似た穏やかな心構えで考えてみてほしい。

誰か結衣を褒めてあげたくなりやしないだろうか。


――本当は。

本当は結衣だって馬鹿じゃないのだ、里緒菜にとことん謝り倒したい。

大塚に好かれたままチョコを渡したり、笑ったりする結衣は、

彼女角度だと憎たらしいビッチのはずなのに、それを表に出さなかった。


悪いことをしたと反省しているし、優しくしてくれる友人に感謝さえしている。

従って『チョコ渡してごめんね』とか『アタシなんかと友達でいてくれてありがとう』とか言いたい。

しかし、逆の立場で想像してみると、

自分が好きな男の好きな女が無垢なまでに清く正しく接してきたら?

それは虫が良すぎるってやつだと熟考した結果、浅い人生で学んだ経験から結衣は一つの持論を導き出した。

大塚にも里緒菜にも優しくして好かれようとするのは、自己中心的でありはしないのか――という説。


非常にややこしくて、本人も正直結論がまとまっていないのだが、

自分はちょっと鈍感なふりをして、ちょっと嫌われるのがベストな気がするのだ。

なぜなら、やっぱり里緒菜だってただの女子高生なのだから、結衣という女に内心ムカついたはずで、

そこを誠実に優等生らしく彼女が筋を通すと、『結衣はいい子なのに嫉妬するなんてアタシ嫌な女だな』と、

親友は自己嫌悪に陥るはずで、

つまり、結衣の真摯な態度は裏を返せば里緒菜を苦しめるという間接的な嫌がらせをすることになりかねない。


そう、元々結衣の中である程度成長した人間の『純粋・いい子』は大罪だという定義があるため、

ここは悪い子になることが、すっごく分かりづらい友情ごっこになるはずなのだ。


がっつりした絆や信頼なんて透明でいい。

好きだから秘密にする。
それが三流なりの捻くれた浅い愛情だ。

ありのままを認めてくれた友人をポップに言うなら裏切らずに田上結衣を演じよう。

この皮肉がらしさだ。


雨降り夜空に煌めきはない。
好きな人とのメールの中身はからっぽなのに、キラキラ輝くお星様が集まる携帯電話だった。


…‥