揺らぐ幻影


ピアスを外して軽くなった耳に乗っかったのは、ベースのようにお腹が痺れる重低音で、

愛美はこんな声ではない。


現状が掴めず思考力が低下、通話相手を確認しようと液晶画面を離しかけた時、

鼓膜に届く音が動作を止める命令を下してしまった。


『さっきごめん、途中で送って操作ミス。歳かな。はは。そんで、あーのさ? レシピ。教えてくんない?』


「……は、?」

『弟がまた食べたいって』


今自分は誰と話しているのかなんて、ベタに考える。

まだメール作成中だったのに間違えて送信したのだと、だから慌てて電話したのだと、

好きな人がお喋りを続ける。

そして触れてほしかったバレンタインの話題だなんて、

これは正に女子高生が言うところの『その発想はなかったわ』状態である。


舌は動くけれど音は生まれず、掠れた息しか出ない。

どうやら緊張し過ぎて声帯が閉じてしまっているらしい。

シャンデリアモチーフの小さな照明がキラリと光るのを横目に見た。

まるで流れ星のようで、例えば流星を見つけた日、

願いを一人で三回唱えるよりも、隣に居る人に教えて二人で一緒に眺めたい。

せっかくのチャンスを一つ逃したとしても、一瞬を共有できる方が綺麗だと思える人でありたい。


「全然、うんメール、レシピ」

『ありがと、弟喜ぶわ。ま、彼は関係ないけど、はは』

切羽詰まった結衣に対して近藤はごく自然に笑う。

心を震わせる甘い声がくすぐったくて、

予期せぬ電話にゆとりがない彼女はたいした返事が出来ないが、

彼が笑ってくれたから幸せだ。


電話は生声とは違い気持ちゆっくりしていて、少し鼻にかかった小さな子のような声質をしている。

  可愛い……

変態ばりにニヤける自分を今日は許してほしい。


「あ、名前は?」

『りょうへい、良いに平家、良平。ふっつー』

「りょーへーくん、ふ、名前パクられてる」


洋平と良平、家で母親が声を張り上げ呼んだなら、

『りょーへー』は『よーへー』に聞こえ、間違えて返事をしたりする近藤が想像できておかしい。


好きな人との初めての電話。
このドキドキを絵で表現するなら、絶対にピンクのハートだ。