揺らぐ幻影


熱くてなかなか食べられないグラサンも、ちょうど恋を語り終わると食べ頃になるのだろう。

結衣は右手にある窓を全開にし、換気と称して寒気を入れ市井にバイバイをする。

舞い上がった心を早くクールダウンさせてほしい。


格上イケメンに褒められた見慣れない顔を手鏡で確認していると、

不意に「変わった、……その、良い意味で」と、声をかけられた。


咄嗟に窓から身を乗り出し廊下を見渡したのだけれど、

そこには服コの女子がちらほら居るだけで、

ふわふわした髪の男子は居ない。

どうしてリアルだと、J-POPみたいに会いたい時にすんなり会えないのか。


まさかと結衣は左を向くと、どうやら声の主は真っ赤な顔をした大塚だったようだ。

  似合う、?

彼にリップサービス術が備わっている訳がないので意外だった。

つまり市井とは違い女に不慣れな大塚が思わず賞賛するくらい、

可愛くなったということなのだろうか。


浮かれ過ぎないように「ありがとー、ナルシストに」と、結衣は笑みを向けた。

それは自信をくれてありがとうという上から目線のお礼だ。



「、ケーキ、美味かった」

「あ、ほんとー。プロだしーとか。あはは、宿題のお礼だから」

近藤に振り分けた理想の台詞を、エキストラにも抜擢していやしない男が唱える。

それは好きな人が音にしないと無意味で、素敵な言葉でも心臓がどんどん落ち着くなんて、

分かりやすい自分にびっくりしたし、あまりの扱いの差にちょっと大塚に悪い気がした。


  ……。

そしてまた、やはり友人に密告されたことは勘違いだと判定できる。

恋愛見習いという生き物は、意中の人に声をかけられないし、やたら褒めてやれない。

結衣が近藤にそうできないように。


特別な感情がない関係だからこそ、大塚も楽々と結衣を持ち上げる発言が可能なのだろうと、

彼と同じくらい恋愛ビギナーの彼女は解釈した。


長い廊下には等間隔で真っ赤な消火器がみはりをしている。
真っ直ぐなそれは、お姫様を守る護衛兵だ。



その姿を見つけた瞬間、自然と結衣の口角が上がった。

桜の花が最初に咲いた時のような淡い笑顔は、無音で恋愛を語る。