何も問題ない道、何も変わらない電車、当たり前の日常を歩いているだけなのに、
どうしてドキドキは止まらないのだろう。
太陽の煌めきをありがたく感じ、冷えた風に微笑んで、
今、血圧を測ったら異常アリに違いない。
喩えるなら、心臓はハイになった深夜三時らしいクラブのビートを刻んでいる。
川の水面が反射すればミラーボールを、住宅密集地はすし詰め状態のフロアを、
さしあたり結衣の緊張感はクラブデビューの心理に似ていた。
期待と不安、けれど未開拓な未知の世界への希望が大きい――そこに行けば自分が変わる気がする。
自然と口角が持ち上がったり、たまに唇が緩んだり、気を抜いたらよだれさえ垂らしていそうだ。
不安と期待、希望と恐怖、ドキドキは心地良いのか悪いのか――分からない。
電車に揺られ、皆同じ方向へ流れていく。
乗り降りを繰り返した車内に居る人の数だけ、普通の土曜日とは違う一日がある。
彼女に会うから浮かれている男子中学生や、貰えないだろうから気が乗らない社会人、
なぜか孫にチョコを送るお年寄りや、無縁だとばかりにふて腐れたOLさん、
旦那さんとデートに向かうお嫁さんや、恋人ナシ・嘆きのパーティーの買い出しに向かう男女のグループ、
イベントの日はなんだかんだ皆は幸せそう。
キリっとした彼女とこざっぱりした彼氏のカップルが座席に腰掛けた。
いいな……
好きな人との約束から逃げたい気持ちと、挑みたい気持ちが五分五分で、
どっちに転がるかなんて、ここに居る全員に尋ねようが誰も知らない。
音を立てずに吐き出した息は白く、丸を作っては消えてを重ねる。
《おはよ。バイト三時からだよー。結果は九時にメールするね》
受信メールは奥で、なんとなく片思い組の震えが伝わった。
彼女はアルバイトの後にバレンタインのチョコを渡して告白するそうだ。
どんなに美人な人だって、片思いの時には友人の励ましが必要で、
《頑張って。恋の勝ち組になっちまえ》と、砕けた口調で結衣らしく送ってみた。
付き合ったことがあるとして、それでも新しい恋を始めると、それはもう初心者。
愛しの彼の攻略術など、経験値があれど存在しやしない。



