揺らぐ幻影


チョコレートの塊を細かく刻むのは、かぼちゃを切るくらい力が要るし、

ごぼうのささがきをするくらい途中で飽きる。

包丁を持つ手が疲れるので、時々手首を振ってやった。

こんなに何かを力強く握ったのは、スポーツテストの握力検査以来だ。


どうして台所に立つと歌を口ずさみたくなるのだろうか。

控えめな口笛やハミングは、いつの間にか一人カラオケを繰り広げており、

熱唱している自分に気付き我に返った瞬間がなんとも恥ずかしい。


唇に鼻歌を乗せながら、フードプロセッサーののたのたした中身を眺める。

これを自分で混ぜるのは面倒なので、開発者に拍手を送りたい。

お肉を家庭でミンチにしたり、お魚のつみれをしたり、スープもできるなんて、忙しい毎日に重宝する――なんて、店員さんの受け売り。


  失敗しませんように

あらかじめ砕いておいたクッキー生地を敷いたスクエア型の耐熱皿に、慎重に流し込む。


混ぜたり泡立てたり、お菓子作りらしい工程がないため、リハーサル通り成功するはずだ。

電子レンジをオーブン設定で、決められた温度にあたためていた時だ。


「ちょっと?! お父さん?! やめてよ、埃、引くから!」

可憐なお菓子作りの作業には似つかわしくない怒鳴り声がキッチンに響いた。


酔った父親はどんな心理か知らないが、異様に片付けをする習性があり、

金曜日の夜だけあって、ほろ酔い気分の彼が、リビングの掃除をちょうど始めようとしたのを発見した次第である。


埃が舞ったらたまったもんじゃない。

せっかくのバレンタイン、不衛生過ぎるではないか。

いくらかヒステリックに注意をし、結衣は怒りを露わにした。

  汚れちゃう


自業自得にしょげた父親を尻目に、ケーキを電子レンジへと運ぶ結衣は、

少しくらいオーバーに咎めようが、どうせ酔って明日には覚えていないのだと弁解しつつ、

もう一度、「ありえない引く」と釘を刺しておいた。


手から伝わるずっしりとした重たさが恋心だとしたら、

スフレの方がライトで良かったかもしれない。


色んな気持ちをまぜこぜにしたケーキが、どうか美味しく出来上がりますように。

そっと運命の扉を閉めた。