揺らぐ幻影


恋心で溢れた部屋にふわふわ香るのは、マンゴーのオレンジ色をしたオイル発信だ。

ちなみに、例のアロマはズボラな結衣に手入れが楽で、趣味にしては長続きしている方だ。

ボディクリームと混ざって少々濃密過ぎるけれど、濃厚な甘さが胸に落ちるとほっとする。



送信内容に対して、受信したのは、

《今日バイトあった?》という会話の流れをブチッと無視した文章で、

びっくりした拍子に結衣は携帯電話を落としてしまった。


ノーメイクの薄い眉が無意識に顔の中心に寄る。

  意味ふめー……

  バイト?

『今日の夜は何食べたい?』と聞いて、『明日は七時に起きる』と答えられた感じだ。

彼と彼女の会話は噛み合っておらず、論点がアウェーだ。


  え、まじ意味分かんない

  、私のテスト話スルー?

  ちゃんと読んだのー? バイト?

不安に焦り、急いで子機を手にし里緒菜に繋いだ。

姉は仕事柄帰宅してなぜかFAXを使うので、手短に済ませるつもりだ。


ベッドは低いので足を投げ出すと腹筋にくる。

おやすみ用靴下越しに床の冷たさがチクチクと足裏を突く。


可愛らしい発信音が切れるなり、結衣は声を張り上げた。

「あの私! メールしてて。なんかっ服コん話してたのに急に今日バイト?ってだけぽこりんが!」

散々渋っていたぽこりんというマヌケな隠語を咄嗟に口にしていることを気にする余裕なんてなかった。

とにかく近藤のメールと自分のメールがいまいちまとまっていないことを、

一刻も早く解決してほしかった。

このように、極端にキャパシティをこえるのが恋愛ビギナーである。


『えー、今メールしてんの?』

「うん、私が止めてる。なんか引いたのかなー? 、って今電話平気? 時間、ごめん、でもぽこりんが……」


図々しく自分勝手に電話をかけていることを思い出し、

日本人のイメージでよく揶揄されるように、結衣は受話器越しにお辞儀をした。


  やばいやばい、迷惑電話じゃんか

冷静に自重した二秒後には、頭の中は不慣れな近藤とのメールでプチパニックだ。

このオーバーさこそ、大人たちが味わえなくなりつつある初恋リアルなのではないだろうか。