そうはいっても

1000人もいる船員の全員と

話をしたわけではない私に、

彼のその後を決めつける事は

できなかった。

乗船して1ヶ月で

どのクルーも

何らかの洗礼を受けて

多少なりとも歪になるものと

私は考えていた。

それは、

寄港地ごとに抱ける女を確保する

船員が驚くほど多い事や、

故郷に恋人がいても

この生活を生き抜くためだけの

船上のPapa、恋人を

手に入れる船員達が多く、

それがここの常識であったこと、

そして新しい船員が来るたび

群がる男の船員達を

うんざりするほど

見てきたからだった。

心が多少なりとも

荒んでくる船の生活の中で、

いつまでも

心清らかでいられるのは、

ミャンマー人だけだった。

それは単に

一個人のミャンマー人を

指しているわけではなく

数十人は居たであろう

全てのミャンマー人が

あまりにも

勤勉で

控えめで

清らかだったから、

これが国民性なのだと理解できた。

私は彼らを

一生の内に行きたい国の一つが

ミャンマーになるほど尊敬していたが、

その反面、

こんなにも人が良すぎる

敬虔な仏教徒であるからこそ、

悲惨な軍事政権を

はねつける事さえできない

と思ったし、

何よりも、

私は彼らとは違う生き物だった。