拙者は、岡野金右衛門包秀と申す。


歳は、24になったばかりである。

父は、播州赤穂藩に仕えていた。しかし、寿命というものか、殿の無念を晴らそうぞと志していたが、つい先日亡くなってしまった。






拙者は、岡野九十郎包秀(オカノクジュウロウカネヒデ)と名乗っていた。しかし、父の死後、父の名を継いで金右衛門と改名したのだ。


そして、名前と一緒に父の持っていた、亡き殿に対しての志も受け継いだのだ。