学校への坂を上る。野球部の生徒がランニングに普段使っている時間だが、今日は誰もいない。暗い坂を上っていく。雨の降りしきる中を傘も使わず登っていく。鞄がバスの中に残っている。手には、倫理のテキストがある。それしかない。玄関には、帰りの指導をしていた生活指導部長がいた。
 おれは後ろから肩をたたいた。
 しかし、背中のど真ん中を手が通り抜けた。先生は何も反応しない。
 耳元で大きな声を出してみた。何も反応しない。
 おれ自身のほっぺたをつねってみる。実体はある。痛みはある。夢ではないようだ。
 いったいどうしたことか。呆然として倫理のテキストを下に落とす。ロシア文学のページが開く。
 少し、雨水がはねる。

……チェーホフは、自身の小説の中に「人間は存在するのじゃない、存在すると思っているだけなんだ」と書いた。……

 いったい、おれは、いるのかいないのか。おれは今、自分で触って自分の触感があるから、おれはいるのではないか。いや、触感があると思っているだけで、実際に周りから認められないのでは、おれが存在しないのと同じである。
 風が吹く。倫理のテキストが、別のページを開く。

……われ思う。ゆえにわれあり。……
 
おれの触感がある、ないは関係ない。ここに、考えているおれはいるんだ。いなければ、おれは考えられないではないか。
 さて、どうしようか。おれはあてもなく走り始めた。走りたいわけではない。しかし、何かが走らせるのである。その間、何人もの人を通りぬける。人の間をではない。人の中を通り抜けるのである。かすかに、ぶつかりたいという願いを持って。いつの間にか、雨は止んだ。
 おれの家の前を通った。玄関の取っ手に恐る恐る手をかけてみたが、手の中を取っ手が通り抜けていく。中を覗いてみる。中には、おれがいるではないか。
――もう、だめだ。おれの家はない。
 周りを見渡すと、自分と同じような年齢をした人が自分の家に入っていくではないか。家の中からは、「お帰りなさい」という暖かい声が聞こえる。おれは、もう二度とこの言葉を言ってもらえないのだろう。おれは、誰にも認めてもらえない。認知してもらえない。それに、違いない。