「……今、何とおっしゃいました。戴剋様」

 聞き間違いだと、翠玉(すいぎょく)は思った。でなければきっと、夫は熱に浮かされておかしなうわ言を言っているに違いないと。

 広い寝台に横たわった姿で、齢七十八になる陶(とう)家領主戴剋は辛抱強く、ゆっくりと言葉を繰り返した。

「儂(わし)もそろそろ天命を待つ時期が来たと思うてな……以前より考えておったのじゃ。もう後のことは全て、この碩有に任せておいてある。この家の財産の管理も、領地の政務もな。ただ気がかりなのは翠玉、お前の行く末のみじゃ」

 かつて落雷の如き苛烈さで一族を牛耳り、精力的に政治を行った賢君ではあったが、年老いたせいか、ふとした折に得た病が悪化、医師に余命を宣告されることとなった。

 それは枕頭に侍るこの女も聞いているはずだったが──彼にとっては覚悟を決めた今でも、その現実逃避はいささか嬉しくもあり、心配でもある。二十八という、実際の歳より若く見える妻を彼は愛情の籠もった眼差しで見つめ、そして同じく愛すべきたった一人の肉親に視線を移した。

「孫の碩有はお前より年下ではあるが、幼い頃より儂が手塩にかけて育て上げた男じゃ。今では立派に陶家の当主として跡を継いでおる。年齢も近いし、身内褒めをするのは何じゃが、儂が若い頃よりも佳い男になりおった。優しい性格じゃから、大切にしてくれるであろう」

 名指しされた当の碩有は無言無表情のままである。翠玉と同じく寝台の脇に控えてはいるが、礼儀正しく彼女より一歩下がった位置に膝を付いてこちらを見ている。

 これはこれで不憫な子だったと、老人は心の中でこれまでを回顧した。

 父を早くに亡くした孫息子は、その心痛で母が心を病んだ為、両親の愛情をほぼ受けずに大人の世界に投げ出された。その故か、四つ年上であるはずの翠玉よりも大人びて見える。