二つ下の弟が一年生として入学してきた。普通なら嬉しいんだと思う。
私は今思えば最低な姉だ。
弟は知的障害で養護学級と普通クラスを行ったりきたりする。
まだ一年生で学校が不安で親からも離れた事で授業中でもお構いなしに私のとこへ来た。
「ねえちゃ〜んねえちゃ〜ん」と半分奇声を上げて泣きながら教室の戸を叩く。養護学級へ連れていってもまた抜けて来る。
「ねえちゃん勉強してるから、みんな困るから」と説得しても意味が通じない。なんしか側に居て欲しいとなげく。
やっと養護学級の先生に引き止められてその間に教室へ帰る。
教室に帰ると「なんやお前の弟あほやなあ、ねえちゃ〜んやて
アホや〜」「ようご!ようご!ようご!」こんな感じが六年迄続いた。腹がたつ。悔しい。結局みんなを黙らせる言葉なんて私から出てこなかった。
母子家庭で家もかなり金銭的に困っていた。
母が「これ持っていったらわかるから」と渡された一枚のメモ
そこには
「ラーメン3コ 食パン 牛乳 缶詰 (後いろいろ)
すみませんが後で払いますのでつけといて下さい」と書いてあった。「お母さんいってや」とゆうと「お願いやから行ってきて」そうゆわれると仕方なくメモを持って家の裏にある小さな商店へ行った。ドキドキして心臓が出そうだったけどお店のおばさんは私の予想とは違う返事をしてくれた
「ハイハイ、ちょっとまってね」といって紙袋に書いてる物全部入れてくれた。
帰りは足取り軽く帰宅した。
今晩の晩御飯はラーメンだった
六年生の3学期父と母がよりを戻し父の住むアパートへ行った学校もまだあるので、先生と相談し越境通学にしてもらった。してもらったと言っても私には負担が大きく心中は嫌で嫌で仕方なかった。結局通う事になり近鉄電車で片道どれくらいだろう6駅ぐらいの距離を弟を連れて通った。
制服を来た小学生はいたが私服でサラリーマンと同じ電車に乗る私達兄弟はかなり目立っていた。帰りは高校生だらけの中を帰る。障害を持つ弟はたまに大きい声を出したりするのでジロジロとよくみられた。
指を指して笑ってる人もいた。
これも卒業式で終わると思って二人で絶えた。
三月 卒業式。弟と二人で
「やっと電車のらんでよくなったなぁ。」と二人でニコニコして喜んでいたのを覚えている。