私はそれなりに複雑な家庭で生まれて、育った。
母は父の「妻」ではなく「愛人」だった。
ゆえに私は「私生児」というカテゴリーに属する。

そのせいか、子供の頃から私は母の中に母以外の「もう一人の女性」の部分を見つけていたように思える。
それは私にとって痛みを覚える部分ではあったのだが、同時に同じ女性として憧れや誇りを持てる要素でもあった。

そのためか、私はあまり子供らしい無邪気さや好奇心を持ち合わせない子供だった。
よく、母は私に苦笑いしながら言ったものだった。

『あなたほど、育てやすい子はいなかったと思うわよ』

今の言い方だと「空気の読める」子供だったのだろう。だけど私はこの「空気が読める」という言葉が大嫌いだ。そんなものが読めたところで、私には何のメリットもなかったからだ。空気を「読める」ことはできても「感じる」ことはできない。
私には欠落した部分がある。

多くの私生児がそうであるように、私もそれなりの災難に見舞われた。
小学校2年生の頃、近所の男子が大声で私を「メカケの子」とはやしたてた。
私には「メカケ」の意味するところが、さっぱり分からなかった。ただ、男子たちの言葉に攻撃的なニュアンスが含まれているのはよく分かっていたので、夕食前に自宅の辞書で
「メカケ」の意味を調べてみた。

難しい漢字が多いため、さっぱり分からなかった文字列の中に「内縁の妻」という言葉が目に入った。
子供だから仕方がなかったのかもしれないが、私はこの「妻」という言葉を見て、安心してしまった。何だ、みんなと同じじゃない。

「お母さんって『メカケ』なんだよね」

夕食の最中に私は皿の上の料理の名前を言い当てるような気楽さで母に尋ねた。
大失敗だ。けれど、母はまったく動揺することなく平然と言ってのけた。

「違うわよ。お母さんは『アイジン』。『メカケ』なんかより、ステータスがもっと上なわけ」