伊井田は女を見上げる。
丁度窓からの光で口元だけ照らされていた。
女は妖しげな笑みを浮かべている。
返り血を浴びたらしく、頬から垂れた血が唇に触れた。
女はその血をペロリと舐め、今度は白い歯を見せて笑う。
伊井田は背中に氷水を注がれた様な感覚に襲われた。
そして見えない手で体中を捕まれた様に身動きがとれない。

伊井田は死を覚悟した。
次は自分が殺される。
きっと自分も心臓を抉り取られるのだろう、そう思った。

だが、そんな悲劇の妄想とは裏腹に女は背を向け、開いている窓の方へ歩き出す。
そして窓の前で立ち止まり、振り返る。

伊井田は目を見開いて、口をガクガクと振るわせた。
伊井田は自分の目を疑った。
これは夢か、幻か、そんな風にまで思える程だった。
伊井田はこの女を知っている。
知っていると言うよりも、女は伊井田のパートナー。

「さようなら」

その声を聞いて伊井田は確信した。
顔が似ているのではない。
天宮亜理紗本人だ。

天宮は「貰っていくぞ」と言わんばかりに、左手を挙げて不気味に微笑む。
その左手に握る心臓は動かなくなり、ただの肉の塊と化していた。