「でも牧之原先生は良い人だったよね。もう離任しちゃったけど」
「ああ、牧ちゃん。なんで良い先生ばっかし離任しちゃうんだろうね」
名残惜しそうに、牧之原の名を口にする秀一の隣で、衣摘は単語帳のページをめくった。
傍目から見れば、二人のちぐはぐなやり取りは、些か奇妙に思えるかもしれないが、当の本人達にとっては、これが当たり前なのだ。秀一が一方的に喋り、衣摘が単語帳や参考書を暗記しながら、器用に言葉を返す。
「矢橋だけじゃないや。誰だっけあのこ。えっと……確か、篠原さん」
「篠原さん? 篠崎さんじゃなくて?」
「ああ、それそれ。その人にも、私怒られた。せっかく話し掛けてやってんだから、こっち見てよって」
「何でみんな怒るのかなあ。いっちゃんはちゃんと返事してるのに」
「……聡恵さんって、相変わらず天然だね」
「そうかなあ。いっちゃんが言うなら、俺は天然なのかなあ……あっ」
急に秀一が走り出した。
「どしたの」
秀一に予想外の行動をとられ、さすがの衣摘も驚いて、手元から顔を上げる。今まで下ばかり向いていたせいで、降り注ぐ日光に目が慣れない。あまりの眩しさに顔をしかめ、単語帳で影を作ると、後ろから秀一に名を呼ばれた。