「お前うまいじゃん!!!」

同じクラスで合唱の城島圭、通称ジョニーは、称賛というよりも驚愕という感じで声をあげた。

僕が去年はコンクールメンバーに選ばれなかったという話を聞き、大した奴じゃないという判断を下していたのだろう。
言い忘れたが前の学校の合唱部は100人の大所帯で、とりあえず一年生は応援隊を務めることとなっていたのだ。

「別に普通だけど」
「じゃ北海道にはお前レベルの奴普通にいっぱいいんのかよ」
「そういうわけでもないけど」
「なにそれうぜぇ」

そう言いながらもジョニーは嬉しそうに、音楽準備室の棚からたくさんの譜面を持ってきては僕の目の前に並べる。

俺全国制覇したときの、鋸ひき歌歌ってみたいんだけど。ソロの音とり一緒にやんねぇ?…などと言いながら、キーボードに座る彼は僕より少し小柄だけど、本物のバスの持ち主だ。


ジョニーとの出会いでほんの少し救われたけれど、僕は、この二週間をどうやってやり過ごしてきたかよくわからない。

高島先生との面談にて衝撃の事実を聞かされたあの日、僕は恩師の芳田先生に電話して少し泣き、母はその日一日寝込んでしまった。


十三年過ごした札幌の地を離れることが決まったとき、何よりも名残惜しかったのが芳田先生との別れだった。

まだ三十そこそこだったけれど、どんなベテランの先生よりも熱く、そして容赦のない人。

うっかり挨拶をしなければ殴られたし、心が真っ直ぐ練習に向かえてないことを見抜かれると帰れと言われた。

それでも好きだったのは、歌をうたうことで、人は強くなれるということを

僕らに、真剣に、真摯に、訴えていたからだった。


その先生と、仲間と、離れることが決まったとき

東京のK中学校には舘山先生という素晴らしい方がいて、自分も合唱指導を教えて頂きに伺ったことがある、と先生は言った。

きっとどこかで演奏を聴く機会があるはずだから、よく勉強しておきなさい。


僕はこの日から、K中のことが頭から四六時中離れなくなった。

舘山先生、舘山先生、K中、K中…