初めてきみに会った日のことを今でも鮮明に覚えているよ。


楽しみなんて近所の小さな公園で思う存分にはしゃぐこと。


子供たちだけでたくさんの遊びをしたな。シーソーがスキだった。


川原で石を投げては水切りをして遊ぶこと。平らな石はよく飛ぶんだ。


やっぱりぼくもみんなも上手になりたくて必死だった。


恐いのは、幼なじみの家に行くためにはお墓の前を通らなくては辿り着かないということ。


迷信か何かを真に受けて息を止めて両手の親指をグーの自分の手のひらの中に隠して全力で走り抜けていた。      


たくさんの遊びの中でも、お絵描きや粘土遊びがスキだった。


たくさんの遊びの中でも、竹馬や縄跳びは苦手だった。


関わる大人は父と母と、保育園の先生がほとんどで入園してからも病弱だった僕は周りの同級生達にいろいろと世話をしてもらっていた。


歳は同じはずなのに随分と大人に感じていた。


保育園での断片的な記憶・・・それは、オルガンの陰に隠れたこと。


眠れないお昼寝で、バスタオルの糸を引き抜き糸の色とりどりの美しさに感動していたこと。


そんな狭い生活の中にきみは突然やって来たのだ。

なんの前触れもなく・・・
ただ、それは今思えば両親からのサプライズだったのだろうか。


父が知り合いから譲り受けた生後三ヶ月ほどの「きみ」は間近で生まれて初めて見る「いぬ」という生きもの。


今までたくさんのおもちゃで遊んで、たくさんのぬいぐるみ達と過ごしてきたが・・・


この、「いぬ」という生きものは自らの足で歩く。

走る。

逃げる。

・・・ほえる。