「おかえり。弥桃」

やはりヤヨイの件があってだろうか。
昨日今日と桃恵は、帰ってきた息子の姿を確認して、必ず安堵を顔に浮かべる。
それを分かっていて、あえてそれを話題にすることなどできない弥桃は、「ただいま」と返すだけ。

子供同士や学校行事の繋がりで、秋山家とは家族ぐるみの付き合いだ。
特に涓斗の戸籍上の母である叔母、博子とは波長が合うのか仲が良く、彼女が憔悴する様子はやはり桃恵にも心痛と疲れをもたらしていた。

涓斗たちの実の両親とは、弥桃もほとんど面識がない。
それも当然の話だ、彼らが亡くなったのは、弥桃たちが小学校に上がったばかりの頃、物心のつくかつかないか、という時期である。
弥桃にとっての2人に関する記憶は曖昧なもので、はっきりしているのは、今の涓斗が父親にそっくりだということくらいだった。

ふと弥桃は、母さんはどうだろうと、思う。
自分は小さかったが、桃恵は当時で21、22歳というところだ。
親子になって2年目の春だったが、学校に通い始めるということもあって、やけに張り切って学校行事にはかなり積極的だったのだ、確か。

「ねぇ、母さん」
「ん? なーに」
「涓斗ん家の親ってさ、」
「親? 博子ちゃんと憲一さん?」
「そうじゃなくて。実の親の方、……会ったこと、あったっけ」
「あぁ……えーっと」

視線を泳がせた。
記憶を探るときに人が斜め上あたりを見やるのは、どうしてなのだろうか。

「どうだったかしらねぇ……もしかしたら、どこかですれ違ったことはあったかもね」

これは、桃恵の口癖のようなものだった。
この人を知っているか、これを見たことはあるか。
そんなことを尋ねたときに彼女は、「知らない」とは絶対に答えないのだ。