今日入学してきたばかりの生徒達と別れて職員室へ向かうところだった。
「せんせっ、村瀬せんせ!」
背後から弾むような声で呼ばれた。
「西本」
「初日なのに顔と名前一致するんだ。偉いねぇ、先生って」
八重歯の覗く人懐っこい笑顔で俺を見上げている生徒。名前を呼ぶと、西本は少し驚いたように関心した。
そうじゃない。俺ははじめから西本を知っていた。まさかとは思ったが、一目見て確信した。
「それとも覚えていてくれた? 村瀬せんせ、高校の同級生の西本貴尋って覚えてる? 俺、それの弟。せんせ、よくうちに遊びに来てたから何回か会ってるよね。兄ちゃんの同級生が俺の担任って、そんなことあるんだねぇ」
はしゃいでいるように言う西本の左耳は、長くもない髪の毛に覆われきれることのなく補聴器を付けているのを確認出来る。
「その耳、もしかしてあの時に?」
「あれも覚えてた? 耳から血出てたからインパクト強かったのかもねぇ。そうだよ、軽度だから補聴器付ければ全然問題ないんだけどさ」
脳天気な語尾を間延びさせるしゃべり方は、本当にたいしたことないといった感じだ。
当人はそうだが、俺は十年近く忘れていた罪悪感を思い出した。

俺と西本の兄、貴尋とはよくつるんでいた。西本の家にも良く遊びに行っていた。両親には一度も会った記憶がない。しかし当時のまだ小さな西本由文はよく覚えている。
ただの男子高生の俺には子供なんて縁がなく興味もなかったが、由文は可愛い子供だと思った。
産毛の柔らかさを保ったままのふわふわした癖毛に、黒目がちな団栗眼をしていて、いつか見た幼児の姿をした人形に似ていた。可愛いものが好きな人間が見れば喜んで構いたくなるだろうが、俺はそういう人種ではなく気に止めていなかった。
貴尋は歳の離れた弟を嫌っていた。由文は大人しく、子供らしいわがままひとつ言わなない「手のかからない良い子」だが、ある意味不健全な子供だったと思う。
そんな由文すらをいとましく思っていた貴尋は真性の子供嫌いなのだろう。由文が目に入ればうざったそうに蹴飛ばしていたし、時には逃げる由文をわざと追い掛け回して暴力を振るっていた。
俺はそうと知っていたが、貴尋たちの両親すら干渉しないことに口を挟みにくいし、由文もたいした怪我もしなかったせいで見て見ぬふりをしていた。