「ほんとになんなんだ、一体…。何故そこまで気を落とす?わけがわからないな…」
少女の心底不思議そうな呟きも、別の誰かへのもののようにどこか遠くから聞こえる。
だって、タイムスリップだなんて。この時代へ来てからもう数時間は経っているけれど、未だに信じられない。こんな経験、本当にあり得ないこと。
桜に誘われて、私は誰の夢を彷徨っているの?
こういう非常事態に出くわした場合、人はもっと戸惑い泣き喚くものだと思っていた。でも、実際には妙に冷静になる、というか、なんの反応もできなくなってしまった。言葉が一切出てこない。
今までずっと黒い絶望の中にいたのに、いきなり白く濁った絶望へと放り出された。こんな空白の世界、味わうのなんて初めて。
全てが空っぽになり、涙だけが静かに流れた。
「―――おい」
その少女の声で、が少しだけ薄れ、連れ戻された。
逃げられない、変わらない現実へと。
「話を戻すぞ。お前の私情にばかり時間を割いてられないんだ」
相変わらず突き放すような冷たい物言い。
「生きている以上、お前の目的は洗い浚い吐いてもらう。が、その前にこれに着替えろ」
少女は傍らに置いてあった袴と秘色色(ヒソクイロ)の着物を差し出す。
「その南蛮人のような格好で屯所内を歩かれては、いらぬ混乱を呼びかねないからな。私は外にいる。終わったら呼べ」
無駄のない動作で立ち上がり、少女は戸を開けると何か思い出したように私へ振り返る。
「逃げようとすれば…容赦なく、お前を斬る」
本気の目でそう言い残した。
