アルコールと彼の指輪

 ――馬鹿みたい、馬鹿みたい馬鹿みたい。
 あれはキスなんかじゃなかった。なのにこんなに動揺している自分が恥ずかしい。
 おじさんはあたしの唇に親指の腹を押し当てて、その爪に唇で軽く触れただけだった。角度によっては、――多分、元カレの立つ距離からでも、キスをしているように見える筈だ。おじさんは元カレを追い払うために、つまりあたしのために、そんな演技をしてくれただけなのだ。

「……くまちゃん、大丈夫?」

 おじさんは「渥美ちゃん」から「くまちゃん」に呼び方を変えた。あたしはハッと意識を持ち直し、慌てておじさんから身を離した。
 ああ、残念。そう呟いた彼を睨み付けて、しかしすぐに瞳の力を弱めた。元カレはもうマンションを出て行ったようだ。気付かなかった。出て行く時に何か言っていただろうか。

「おじさん、ありがと……」
「あれ? やけに素直だね?」

 からかうように笑う彼を前に、あたしは更に俯いた。いつも通りに文句を言ってやりたかった。だけどまだ、緊張で唇が震えているのだ。

「くまちゃん、ごめんね? 俺じゃ役不足だったかな……」

 そろそろ心配し始めた彼に、あたしは首を横に振った。駄々をこねる子どもみたいで、嫌だ。

「あいつ、出て行く時何て言ってた……?」
「ん? あぁ、何も。俺に対しては散々文句を言っていたけどね」
「ごめん……」

 彼は困ったように、息を吐くように浅く笑った。

「気にしないで。くまちゃんの抱き心地が良いから、寧ろラッキーだったと思ってるし」

 何それ、おじさんのばか。
 それだけを言って、涙で濡れた目を強く擦った。
 ――馬鹿はあたしだ。