「っ、止めてよ!」

 あたしは男の胸を力一杯に押し返した。視界が涙で潤む。こんな顔を見られたくなくて、あたしは右手を額の前に掲げて俯いた。その手首を、男に掴まれる。

「何で嫌がるんだよ。渥美、俺は……」
「うるさいっ、聞きたくない!」

 男の手を振り払おうとすると、強く抱き締められた。男は更に続ける。会いたかったと、そんな見え透いた嘘を。
 会いたかったのなら、会いに来れば良かっただけのこと。なのに来なかった。誕生日なんかに連絡してきて、動揺するあたしを見て楽しんでいるのだ、この男は。
 あたしは男の腕の中で暴れた。エレベーターが一階に着いたら、ダッシュで逃げようと心に決める。必ず、この腕から抜け出して。
 一階への到着音が鳴る。あたしは先程までよりも更に、抵抗を強める。
 ドアが開いた、その時だった。

「渥美ちゃーん」

 こんな状況には不釣り合いな、のんびりとした声が、ロビーの方からあたしを呼んだ。あたしは男の腕から無理やりに抜け出し、その声の主の下へ走り出した。突進するように、彼に抱き付いて、縋るように、彼の背中に回した手でその服を握り締める。

「おじさん……っ」

 いじめられっ子が、泣きながらお母さんに抱き付くそれと似ている。お母さんは子どもをあやすように、その背中を優しくさするのだ。

「よしよし、もう大丈夫」

 彼の服を涙で濡らすあたしの頭を、彼はぽんぽんと二つ叩いた。大丈夫大丈夫、怖くないよ。
 彼は、まるであたしが二十歳の女だということを忘れているようだった。

「渥美、何だよそいつ」

 ロビーの床をキュッキュッとスニーカーで鳴らしながら近付いてくる男の声に、あたしは身を固めた。
 大丈夫だよ。
 おじさんはあたしだけに聞こえるように、言った。