アルコールと彼の指輪

「もう帰るのか?」

 あたしが席を立つのを確認したおじさんがドアへと足を向けると、控え室のような部屋から出て来た直江さんが声を掛けて来た。
 おじさんは直江さんに瞳だけを向け、お陰様でね、と少し冷たい口調で言った。
 おじさんも嫌みとか言うんだ。
 そう思いながら入り口へ向かう彼を横目に、あたしは直江さんに向き直った。

「あの、ケーキ有難う御座います」

 直江さんには素直にお礼を言うことが出来るみたいだ。
 おじさんと何が違うのかと少し思考を巡らせていたら、直江さんはにっこりと素敵な営業スマイルを向けてくる。

「どういたしまして。またいつでもおいで、そのクソ野郎抜きでね。沢山サービスするからね」

 あたしは浅く会釈をすると、おじさんの後を追った。

 地下を出ると、高層ビルの建ち並ぶ狭い空は仄白く濁っていた。雨が降りそうな天気だ。

「ねぇ、おじさん。お腹減ってないの?」

 確か朝から食べてないんだよね? と言いながら携帯を開くと、時刻は午後三時を回っていた。少し急いでいるのか、バーに行く前はあたしと歩幅を合わせて隣に並んでいた彼は、今はあたしより少し前を歩いている。

「うーん……ピークも過ぎちゃったから、今はあまり空いてないよ」

 そこで彼はぴたりと立ち止まった。ああ、と少し気怠そうな声を洩らし、前を見据える。あたしもその視線の先を追い掛けた。
 そこには、人混みを避けながら少し小走りで向かってくる女性。

「……キョウ、良かった。やっと会えた」

 彼女は息を乱しながらあたし達の前に立つと、淡い笑みを深めてそう言った。