アルコールと彼の指輪

 男性は深い溜め息を吐きながら、不意にあたしへと視線を移した。あたしは視線が合うのを避けるように、ふい、とカウンターの向こう側の棚に所狭しと並ぶお酒のビンへと瞳を走らせる。

「初めまして、マスターの直江です。挨拶が遅れて申し訳無い、ピュアなもんで女性に声を掛けるのは大の苦手なんですよ。ああ、そうだ、このクソ野郎をシバき倒す時は俺にも声を掛けて下さいね。全力でお力添えさせて頂きますから」

 そっと視線を戻すと、直江さんは穏やかに微笑んでいた。おじさんとは違って、この人は話が分かる人だと思う。あたしも薄く笑みを返し、言葉を紡いだ。

「はい、その時は是非。あたしは斎藤です」

 あたしと直江さんは堅い握手を交わした。

「はは、怖いな。でもクソ野郎か、その通り過ぎて何も言い返せないよ」

「自覚してたのか」

 おじさんと直江さんの会話を聞きながら、店内を見渡してみる。あの廃虚のような入り口から、こんな空間があるとはまるで想像出来なかった。
 地下なので天井は低いが、置かれているテーブルや椅子等のインテリアはシンプルで、あまり狭さを感じない。
 今はまだ夕方にもならないけど、こんなに夜の似合うお店に来るのは勿論初めてだった。

 ――やっぱりおじさんには、下心なんて無かった。
 少し悲しくも思ったけど、それよりも強い苛立ちを覚えた。

「くまちゃん、どれが良い?」

 不意に、彼がドリンクメニューをあたしの目の前に差し出して来た。お酒の名前がズラリと並ぶだけで、写真が無いからどれが良いのかが分からない。そんなあたしに気付いてか、これなら女の子でも飲みやすいと思うよ、そう言って彼は、長い指先でメニューを指し示した。

 急に視界に入ったおじさんの綺麗な手に、心臓が嫌に強く跳ねた。甘い香りが鼻腔を掠め、同じメニューを見るおじさんとの距離の近さを意識する。

「じゃあ……それにする」

 そう答えるのが、精一杯だった。