アルコールと彼の指輪

「――でも、まだお昼過ぎだよ。居酒屋とかが開くのって、夕方くらいからなんじゃないの?」

 あたしと歩幅を合わせて隣を歩くおじさんの横顔を見上げる。彼は前を向いたまま、柔らかく目を細めた。

「大丈夫。そこの店長が知り合いだし、多少の我が儘なら聞いて貰える筈だよ。朝から何も食べてないから、俺も夕方まで待てないし」

「朝、食べなかったの?」

「うん。君が部屋を出て行ってから、そのまま二度寝したみたいなんだ。ほら、寝癖」

 嬉しそうに言う意味が分からないけど、彼が指差した栗色の髪の、確かに一カ所だけが変な方向に跳ねていた。ただ、ワックスで遊ばせているからその寝癖が上手い具合に紛れて、すぐには気付かない程度のものだけど。

「ねぇ、おじさん」

「何?」

「あたし、今日誕生日なの」

「そうだね。知ってるよ」

 君が教えてくれたからね、彼はそう付け加えて、けれどあたしの欲しい言葉をくれない。

「……おめでとうくらい、言っても良いんじゃない?」

 歩き続ける彼を前に、あたしはその場に立ち止まった。それに気付いた彼も立ち止まり、ゆっくりとこちらへ振り返る。

「お誕生日おめでとう」

 あたしが言えと言ったから、彼はあたしの望むままの言葉をくれた。
 けれどそれは全く心の籠もらない、形式的なものに過ぎなかったのだ。顔に貼り付けられたように変わらないその微笑が、不気味だと思った。

「行こう? くまちゃん」

 彼は、あたしには興味が無い。そのことを肌で感じたような気がした。