アルコールと彼の指輪

 午前中に講義を全て済ませたあたしは、昼食の後、そのまま直帰。昼過ぎとあって、帰りの電車はそれなりに空いていた。席に座れたことに喜んでいるあたしは、何て幸薄な女なのだろうか。

 駅近くの自宅マンションは他と違い真新しく、西口から出ればすぐに視界に入った。
 ああ、また何事も無く帰って来てしまった。
 虚しさを胸に、歩を進めることしか出来ない。たまには駅ビルで買い物でもしてみようか、そんな考えが浮かんだけど、すぐに面倒になり諦めて大人しく帰ることにした。

「――あ、くまちゃん」

 マンションの前に着いた時だった。あの憎たらしいくらいに甘い声が、忘れもしない恥ずかしいあだ名で呼び掛けて来たのだ。
 下を向いて歩いていたあたしがキッと睨み付けるように顔を上げれば、しかし彼はにこりと柔らかく笑う。
 マンションの入り口から、細長い足をゆったりとこちらに向けてくる。そんな彼を、あたしは終始睨み続けていた。

「おじさん、あたしの名前忘れたの?」

「忘れて欲しくないの?」

 おじさんはいつもあたしより少し上を行く。何となく痛い所を突かれて、あたしはつい黙り込んでしまった。つまりは図星だったのだ。忘れて欲しくなんてなかった。

「素直だね、君は。凄く分かりやすい」

 そんなことを言われたのは、初めてだった。素直じゃない、そう言われるのが常で、まるで洗脳されたように自分は女としての可愛さ、イコール素直さが欠如していると信じて疑わなかった。
 実際に、あたしは決して素直なんかじゃない。

「くまちゃんが考えてること、当ててあげようか」

 何を考えてるのか分からないと、あたしはいつもみんなからそう言われて来ていた。

「……いいね、当ててみてよ」

 あたしは背の高いおじさんを見上げた。