その日から私は透明人間になりました。


報われないとしても、彼の音色を聴くことぐらいは許されるでしょう…

そんな都合の良い言い訳を心の中で唱えては、彼の病室を訪れました。


病室では、彼に気付かれないように物音を立てぬようにして息を殺します。

……それでも、少しの物音や吐息で私が居ることは気付かれてしまいます。


私が居るとわかると、彼は聴いていたラジオを止めて、ピアノの演奏を始めるのでした……。







……そうやって、

透明人間として彼の側で演奏を聴き続け、一年という月日が過ぎようとしていました。


初めて逢った日は暖かな心地の良い日でしたが、

今年は冷たい雨の降る日でした。



「どうにも冷えると思ったら、雨が降っているのか……

あんた、寒くないか?」


彼は冷えた指先に、はぁっと息を吐きながら言いました。

私は相変わらずなにも答えませんでした。



「今日も黙りか…… 」


指を擦るようにして暖めながら、溜め息もそこに吐きました。

そして、暖めた指先を鍵盤の上に置きました。



彼が演奏した曲は、外国の有名なミュージカル映画の歌でした……。



雨を唄った曲。

楽しげな、
鮮やかな音色。


窓から見えるのは、雨の降る曇り色の空。音色とは正反対の暗い色でした。


目の見えない彼の方が、きっと世界は綺麗な景色をしているのだろうと思いました……。