その日の課題も終わりに差し掛かった頃

彼はおもむろにテキストを閉じた


顔をあげて、そのままじっと私の眼を覗き込んできた


彼が時々見せるこのような表情に

どぎまぎしない女性などこの世の中にいるだろうか


「どうしたの?」

私は努めて冷静にふるまった


「ねぇ、ディー。恋ってどんなもの?」

下唇を前歯で軽く噛み

上目遣いにこちらの反応をうかがっている


私は背筋を伸ばした

「急に何を言い出すのかと思ったら」

あごをひいて軽くにらみかえすようなしぐさで応戦した


意外にも、彼はしかられた子犬のように肩をすくめ

所在なさげに左手をあごにあてた


その後も両頬を手で覆ったり

両手を組んだりはずしたり

落ち着かない様子だ


私はその様子をいつまでも眺めていたいと思った

そして実際にしばらくそうしていた


永遠に続いて欲しい時間を止めたのは彼だった


「僕は、どうやら恋をしているらしいんだ」


(知っているわ)

私の脳裏には

先日のパーティーでの光景が

スライドショウのように映し出された


「そう。それは素晴らしいことね。」

私は“冷静で知的な家庭教師”を演じる覚悟を決めた


「僕はたくさんの恋の歌を歌ってきた。たくさんね。でも、本当はよく分からないんだ。恋するってどういうことか」


小さくダンスするように身体を小さく震わせると

イヒヒヒ、という彼特有の笑い声を漏らした


まるで彼を包んでいる感情に

全身をくすぐられてでもいるかのように


(恋するって、そういうことよ)

彼は今、あのディーヴァを想っているに違いない


次の言葉が繋げない私などお構いなしに

彼は高揚した口調で語り続けた


「ディーもロマンティックな恋をして、そしてそれが成就して、神様からウィリアムを授かったんだよね」


「そうね‥」

そう。かつてはそんなこともあった


しかしそんな遠く淡い記憶は

酒を飲むたび手を上げた男との

醜く苦しい争いの記憶に上書きされていた