華子は医療事務の専門学校に通ったのだが 実際その職は望まなかった。 患者との接点が少ないからだ。 それなら診察の介助を主にしていたいということで 外来の看護助手の仕事に就いた。 ここの病院内では“メディカルクラーク”という 正式名があったが、あまり浸透していないので 友達や、医療のことをよく知らない人に 説明するときは看護助手の名前で通していた。