三百余りの若い衆が、沖縄の抵抗勢力と合流したのは、その2日後のことであった。


梅方組では武闘派として知られる「リッキー竹内」は、梅方の勅命でこの部隊の指揮を任されている。


沖縄の抵抗勢力との合流後、竹内は現時点での沖縄の実情を知ることになったのだ。