彼はこう考えていた。


すべての命あるものは、例外なく破滅に向かっている。


命を持つもの、つまり生物はその誕生から死までの間、自己を維持するために、外部からエネルギーを取り入れて体内で消費する。

その生命活動の中で、生物の個体はそれぞれに生殖を行って新しい個体を生み出す。

そして、いずれは機能停止を余儀なくされ死に至る。


死、すなわち破滅。


ヒトもまたしかり。

人間の場合、社会的慣習やモラルといった複雑な概念に大きく影響を受けるが、本質的には何も変わらない。


人は様々な知恵を身につけ、膨大な知識を学習しながら成長を続ける。

思春期を迎えると恋をして夢を抱き、理想と現実の狭間で試行錯誤を重ね、やがて成熟期を迎える。

ある者はささやかな名誉を手にするために生涯を捧げ、ある者は富を築くために自分を偽り、ある者は権力と引き換えに悪魔に魂を売る。

そうして自らの置かれた境遇に翻弄されながらも、人々は結婚をして子を作り、幸福というまやかしに浸って安堵する。

そして子に望みを託すことで、老いていく我が身への失望と何とか折り合いをつける。


すべて、破滅する過程にすぎない。


当然、生み出された新しい命もその瞬間には滅びはじめているのだから、結局は破滅のサイクルが延々と繰り返されることになる。

仮に、時を超えて永遠に存続する命があるのだとすれば、それはもう、その時点で破滅している。

無限であるということは、同時に無でもあるからだ。

そして破滅の先に別天地があるわけでもなく、朽ちた命が崇高なものへと昇華することもない。

そこにあるのは、やはりただの無だ。