あの夜の事は、なかった事にしよう…



私は決めた。



相手が覚えてないのに、私だけ覚えてても仕方ない。


忘れよう。お互い好きと言った事も、唇の感触も…



それからしばらく、私たちは顔を合わせなかった。



私にとっては、気持ちを切り換える、いい時間だった。




ある日、急にカレーが食べたくなり、作ってみた。



出来上がったころ、玄関の方で音がした。



彼に会うのは久しぶり。


普通に話そう。


何もなかった時のように…


「おかえりー。 あっ、井上さん、こんばんは!」



薫の後ろに立つ、マネージャーにも気付いた私は、笑顔で二人に声をかけた。




「・・・ただいま・・・
 カレーの臭いがする…」


薫が入り口に立ったまま、つぶやく。



「うん! 久々に食べたくなって作った。
晩ご飯食べた? これ食べる?」




「腹減った… 食う!」



薫が笑顔でそう言って、部屋へ行く。



「井上さんも、どうですか?」



「いや… 僕は…」



「食ってけば? 家に帰っても一人なんでしょ?」



薫が部屋から顔を出しながら言う。