漁港を出て僅か数分で自分の『えり』が見えてくる。

『えり』漁は比較的沿岸に設置するため、岸からは遠いわけではない。

『ちっ』
老人が舌打ちをした。

やはりバスボートが一艘、自分の『えり』に横付けされていたからだ。

一目でそれと分かるのは、バスボートは吃水が低い、つまり水面に皿を浮かべたような独特の船形をしているせいである。


だが直ぐに

『妙だな』
と老人は異変に気付いた。

人影がない無人の舟に見えたからだ。

バスボートのような吃水の低い船舶は
風上に、つまり波に対して船首が向くように操作する。

とりわけ今朝のような波が高い北琵琶湖では、横揺れがひどくなるため危険なことは常識と言ってよい。

それが
モロに横波を船腹に受けて
真っ赤に塗装された船底を時折見せるくらい振り回されては
自分の『えり』にぶつかっていた。

灰色の空と
それを映した鉛色の湖面
冬の北琵琶湖特有の陰気な色彩の中で、時折見せる船腹の真っ赤な色は

どことなしに不気味に見えた。