龍馬! ~日本を今一度洗濯いたし候~

 父親はひとなみに私塾(楠山塾)にいれるが、毎日泣いて帰ってくるし、文字もろくすっぽ覚えられない。みかねた塾の先生・楠山庄助が「拙者にはおたくの子は教えかねる」といって、塾から排斥される。
 兄の権平や父の八平も「とんでもない子供だ。廃れ者だ」と嘆く。
 しかし、乙女だけはくすくす笑い、「いいえ。龍馬は日本に名をのこす者になります」 などという。
「寝小便たれがかぜよ?」
「はい」乙女は強く頷いた。
 乙女の他に龍馬の支援者といえば、明るい性格の源おんちゃんであったという。
 源おんちゃんは「坊さんはきっと偉いひとになりますきに。これからは武ではなく商の時代ですき」という。

  城下でも見晴らしのいい一角に、小栗流日根野弁治の道場があった。龍馬はそこで剣   
術をまなんだ。道場の近くには潮江川(現在の鏡川)が流れている。
 日根野弁治は土佐城下でも指折りの剣術使いで、柔道にも達していたという。
 もともと小栗流というのは刀術のほかに拳術、柔道などを複合したもので、稽古も荒っぽい。先生は稽古のときに弟子の太刀が甘いと、「そんなんじゃイタチも斬れんきに!」 と弟子をよく叱ったという。そして、強い力で面をうつ。
 あまりに強い竹刀さばきだから、気絶する者まででてくる。十四歳の龍馬もずいぶんとやられた口だったらしい。
 毎日、龍馬は剣術防具をかついで築屋敷から本町筋一丁目の屋敷にもどってくると、姉の乙女がまっている。