1 立志



             
  龍馬(坂本龍馬)にももちろん父親がいた。
 龍馬の父・坂本八平直足は養子で山本覚右衛門の二男で、年わずか百石の百表どりだった。嘉永から文政にかけて百表三十何両でうれたが、それだけでは女中下男や妻子を養ってはいけない。いきおい兼業することになる。質屋で武士相手に金の貸し借りをしていたという。この頃は武士の天下などとはほど遠く、ほとんどの武士は町人から借金をしていたといわれる。中には武士の魂である「刀」を売る不貞な輩までいた。坂本家は武家ではあったが、質屋でもあった。
 坂本家で、八平は腕白に過ごした。夢は貿易だったという。
 貧乏にも負けなかった。
 しかし、八平の義父・八蔵直澄は年百石のほかに質屋での売り上げがはいる。あながち貧乏だった訳ではなさそうだ。
 そのため食うにはこまらなくなった。
 それをいいことに八平は腕白に育った。土佐(高知県)藩城下の上町(現・高知県本丁節一丁目)へ住んでいた。そんな八平も結婚し、子が生まれた。末っ子が、あの坂本龍馬(龍馬直柔)である。天保六年(一八三五)十一月十五日が龍馬の誕生日であった。
 父・八平(四十二歳)、母・幸(三十七歳)のときのことである。
 高知県桂浜……
 龍馬には二十一歳年上の兄権平直方(二十一歳)、長姉千鶴(十九歳)、次姉栄(十歳)、三姉乙女(四歳)がいて、坂本家は郷士(下級武士)であったが本家は質屋だった。